あかりのまわり

回復するブログ


現実を恐れている人の話

 

今年の、まだ初夏も初夏のころに、

夏を感じたくて辻村深月の青春ミステリー短編集『ふちなしのかがみ』を再読した。

いい歳して怪談、都市伝説、おまじない、ジンクスなんてものを好む傾向にある私にぴったりの本だ。

とは言っても読むのは5年以上ぶりとかで内容はほとんど忘れていたから、新鮮に楽しみながら読むことが出来た。

 

ふちなしのかがみ (角川文庫)

ふちなしのかがみ (角川文庫)

 

この中で、とくに印象に残る話があった。

タイトルは「ブランコをこぐ足」。

小学五年生の女の子の不可思議な死を、クラスメイトに対して行われた取材を通して推察する話だ。

 

これを読んで ふと、

いっそ死にたい(または消えたい、とか)という思いに、至らない人と至る人の違いって

現実のことを、大したことないと思うか、思わないか

ではないだろうか?ということに気づいた。

 

 

ぜひ、皆さんにも読んでもらいたいものだ。ネタバレしたくない派なので詳しくは書かないが、そうか、私にもこんな風に「ああこんなもんなのか」って実感出来ることがあったなら、あるなら、生きていけるなと思った。

 

現実、現実ねぇ。手に負えないです。

自我が芽生えてからずっと、現実って圧倒的すぎる。私にはまだ。

 

さてここで、私の心の友

戦前戦後に活躍した小説家、坂口安吾の言葉を拝借。

これを読んだときに、先ほどの「ブランコをこぐ足」のことを思い出したのだった。

芸術が現身に負けることが、私はどうにもやりきれない。

私は現実を殺したい。

現実は卑小浅薄であると言ひすてなければならないほど、現実は余りにも無限の複雑を蔵してゐて、手出しができない感じである。

現実の中では私はただ「まごつき」と「部分」の上をよろめき彷徨してゐるばかりで、全部を知ることは恐らく永遠にありえないのだ。

現実を殺さなければ私の現実は幕があかない。

 

「手紙雑談」(1936)から引用

 

…こんなに一語一句共感できる文が他にあるかってんだ、クソ。←なんの怒りだ

坂口安吾といえば、鬱と幻聴幻覚に悩まされ、1ヶ月間入院して「持続睡眠療法」とやらを受けたことがあるのだそうだ。(薬でとにかく1ヶ月眠らされるというとんでもない治療法だけど、存外受けてみたいと思わないこともない)

 

現実に対する認識は今のところ私もほぼ同じであるから、(私は現実を殺したいというより恐れているが)、

「現実って大したことないな」

の域に達するには程遠い道のりだと感じてしまう。それだってよくやってきたと思うけれど。

大体、私が本や映画および芸術とやらを愛してやまないのは、そちらの方が手に負えるからだ。フィクションを通して現実世界を予行演習をしている感じなのだ。って書くとなんかばかみたいだけど、実際そうなのだ。

 

ほらほら!

現実に対する恐れを克服しなければ私の現実は幕があかないよ!

そんなことを、今日一日自分に言って聞かせてみた。

じゃあどうしたらいい?と考えていけば、

行き着いた答えは「知ること、経験すること」だった。

知らないから怖い。できないことが多いから怖い。なら怖いながらも知ってみる。できないながらもやってみる。そういう心意気がもっと必要なんじゃないかという気がしてきた。

 

ところで、というか、ちなみに

夢占いの世界において「恐れ」がどのように解釈されているかご存知だろうか?

私はこの未弐さんの文章をいつも興味深く読む。

真実を避けている状態。洞察を得ていないこと。未知の自分に対する恐怖。自己の側面に対する恐怖。人に偽りの自分を見せている状態。…(続きはこちら)

これを読んでもやっぱり知ることが必要なのだと分かる。

 

永遠に知れないことがあるとしても。心意気さえあれば。

現実なんて大したことないって分かる日が、きっと来ると思う。