詩集(?)を作った話

前記事で書いた気持ちを年上の人に聞いてもらったら、

でも今までずっと周りみて周りと同じように、はぐれないように皆一緒にやりましょうって散々教育を受けてきたんなら、そうなるのも仕方ないんじゃない?

おてて繋いでみんなでゴール、一人ひとりが一番だよ ってな世代でしょ?

 というようなことを言われ

フムとなった。

フムとなって、それで終わった。

いずれにせよ私にはもう関係のないことである。私は私の、その人はその人の人生を歩むしかないのだから。

簡単だ。やりたいことよりもやるべき事を優先して大人になってった人たちのことや、その時その時やるべき事をスムーズにできた人たちのことを恨めしく思うのをやめればいいのだ。

 

さて、突然ではあるが私は詩が好きだ。

別に常々そう思っているわけではないし、日常の中でとくに詩を意識する回数もそんなに多くない。だけど泣きたいときと泣けるときにはいつも詩がそばにある。

節目節目でなんとなく詩に出会ってきた。

中学のころ好きだったネットのお友達が作詩していたこと、

高校のとき先生が授業中に人生で一番影響を受けた詩を教えてくれたこと、

市民図書館で山田かまちの本をなんとなく取ったあの時のこと、

大学の授業中に詩の言葉の響きの絶頂を知ったこと、

泣いてる夜に詩を教えてもらったこと、ずっと大事に覚えている。

 

去年の夏終わりごろからTwitterに投稿する文章がポエミーになってきた。

あまり自覚してなかったけどフォロワーさんに言われて気づいた。

衝動を言葉にすると意図せず詩的になる。恥ずかしいやつだ、でもどうしようもない。自分らしさとはこういうものだろうと思うようになった。

ポエム。一定数の方からは拒絶されていくんだろうと漠然と思いながら投稿を続けていたら、有名な詩人の方からフォローされたり、あなたのツイートって素敵ですと告白されたりするようになった。

ある日突然「Twitterのつぶやきたちを編集して詩集としてまとめたい」と思うようになった。あのとき私は、自分の言葉のことを認めたんだと思う。自己満足上等である。

 

つくづく便利な世の中だ。

ボタン一つで製本をお願いできる時代。感謝するしかないな。「気軽にできること、とにかく安く作れること」を基準に検討して製本直送さんにお願いすることにした。正直めちゃくちゃワクワクした。

簡単だった。しかし地味に時間のかかる作業で、楽しかった。本なんて作ったことないものね。Wordを主にレポート作成にしか使ってこなかったから、トンボってなんだよ、とか。名前の由来を調べた日に、夢にグロくて大きいトンボが出てきたのは悪い思い出だ。

①原稿をPDFで作成

②サイズ、本の綴じ方、表紙を含む紙質などを選ぶ

③入稿

たったこれだけ!!!だからまぁ、平日の隙間時間と休日にちまちま作って結局は、思い立って半月くらいで完成したのである。

 

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みけというのはTwitterでの名前。

 

表紙の肌触りに感動。本紙の質に大満足。ほんとは無線綴じが良かったのだけど、ページ数の関係で中綴じに。それでもとってもイイ感じ。

それをここでも自慢しておきたかったのである。自慢に付き合わせてしまってごめんなさい。でも、ここまで読んでくれてありがとう。あなたもいつか、どうですか。←なんて雑な営業

 

実はページ番号つける位置をミスってて、失敗作っちゃ失敗作なんだけども。

しかも詩集と呼ぶには程遠いしろものになってしまったわけだけども。

 

いつも考え事をしていて現実との接点が無くなりがちな自分にとって、本が出来上がってから生まれた感情ってのがとても現実的で衝撃的な経験だった。

考えたことを形にするということは、自分の中の何かが一歩進むことだった。

誰にも見られないものであろうが、他人からして些細なことであろうが、今の私にはそれが重要なことなのであった。