パニック障害は治ったけどさ〜の話

更新がなくてもぼちぼちアクセスがあり有難い。私はといえばこのブログのこと完全に忘れてることあります、、はてなプロなのに、、

 

 

さて、体調が悪い。

私の言う体調が悪いとは、自律神経が失調してる状態を指します。

体調を崩してはや9年。血の汗滲む試行錯誤を繰り返しそれなりに対策なり対処法なりを身につけてきた、がしかし、

どうにもならないほど不安が暴走する時はまだある。今朝みたいに。

家を出て50歩かそこら歩いたら辺でもう「オェエエエ!!!」である。歩きながらオェエエエ!!!

 

オェエエエ!!!=会社行きたくない!!!

 

である。←である。とか言われてもね

気持ち悪さと戦いながら必死に自分をなだめ、励まし、電車にのる、職場へ向かう。アホみたいですね、頑張ってるんですけど。

これから予定があるとか、人と会うみたいな場面を控えている状態で、自分の体調に不安要素があるとあっという間に不安の渦に巻き込まれてしまう。

これは、もう、そういう風になるように、脳が覚えているんだと思います。何度もこういうこと繰り返してきて、そこのシナプスが強化されまくって、いとも簡単に不安へのスイッチがONになっちゃうんだと思います。知ってます。冷静です。

 

しかしまあ、一旦外出先で吐き気に襲われてしまったら、その最中は余裕が無い。

もう、吐くしかない。という思考と感覚でいっぱいいっぱいなのだ。

疲れる。助けてほしい。

 

 

ところで、自分はパニック障害を克服したと思っている。今の話の流れでツッコミが来そうだが、気にせず話を続ける。

最近、パニック障害を公表する芸能人が増えてきて、この病気の認知度も上がったと思うけど、未だに明確な治療法が示されてないのって本当におかしいよね。薬と認知行動療法でスムーズに治る人なんてどんくらいおるん?ていうか、向精神薬なんかで治るん?みんな。嘘やろ?

でも私は、パニック障害って治る確率の高い病気だと思う。だってほら中川家のお兄ちゃんとか堂本剛とか元気やんか。あと誰?IKKOさんとかYUIとか!私は元………気じゃないけど(汗)、あの発作には、もう見舞われないんじゃないかなって今は自信がついてる。パニック障害は、1度「もう大丈夫なんだ!」って実感出来たらこっちのもんだ。あとはどんどん治る。

 

パニックの時のあの感覚って独特で、なんて言うか、底知れない不安と恐怖、異常だと思う。発症したてとかパニックに苦しんでいる時期ってのは、あの不安と恐怖をそのまま受け入れて信じ込んでしまって、抜け出せなくなってる状態。

今は、あの不安や恐怖のことを単なる「身体の疲れ」と捉えることができるし、心がキャパを超えてしまったサインだと捉えてる。あの不安や恐怖が来ても、それを不安や恐怖と思わない。「あっ、この感じ!」って思うだけ。笑

で、その感じ、はホントにすぐにどっかいっちゃう。

発作が起きてた頃って、自分がどれだけ疲れてるのかとか、何に対してどのくらいストレスを感じてるのかとか、ぜーんぜん分かんなかった。だから頻繁に限度を超えてた。今は自分の範囲っていうのがだいぶ分かるようになったから、限度を超すことも減った。比例して、発作もなくなったんだ。

 

でも、でもですよ…話は戻って、今朝みたいな、自律神経めちゃくちゃになる感じ(自分の中では全部ひっくるめて不安障害って呼んでるんだけど)は、しつこい、、、。治らん、、。すぐにどっかいってくれない、、、。ほんとに、、、。

何回大丈夫だと思っても全然大丈夫じゃない。自分の身体に心は裏切られ、自分の心に身体は裏切られ、そんなのをこの9年のうちに何回してきたことだろう。もちろん、心と体はいつでも1つで、そのことをいい意味で実感した瞬間は何度もある。でもその瞬間は自分を信頼するまでに至らない。不安障害の不安も、幻なんだろうなって、最近気づいてきたけど、なんだかなぁ。

とか考えてる今日この頃です。

 

私の住むココは今週やっと梅雨入りだそう。みんなのところはもうツユってる?☔️🐌

温度変化に気をつけていきましょね〜。

それではまた。

HSPについて最近思ってること。

昨今よく目に耳にするようになった「HSP」の存在。

私がHSPという概念に出会ったのは、4年前の2015年、体調を崩して4年後のことである。当時はまだ、知る人ぞ知る感が強かった。

エイレン・N・アーロン氏が『The Highly Sensitive Person』を出版したのが1996年(邦訳されたのは2000年)。HSPが提唱されてから私がそれを知るに至るまで、15年以上は経っている。

が、もっと早く知りたかったとは思わない。自我喪失でぼんやり生きていた情報収集力ゼロの日本人の若者(自分でそう言っちゃう)にしては最短で知れたと思っているからだ。無事HSPの概念を受け取れたこと、その恩恵は計り知れない。

どうせだからその恩恵を大きく分けて3つ、書いてみる。

 
①楽になった。
知るだけで楽になれる。ホントに、これが一番大きい。「自分は頭がおかしいんじゃないだろうか」という漠然とした不安から解放される。病気じゃなくて気質なんだと知れてホッとする。敏感な自分を許せる。
②人との付き合い方が良い方に変わった。
一人の時間をどのように過ごすか。自分の味方でいるとはどういうことか。自分に対して使う時間はどのくらいあったらいいか。自分の居場所の整え方をどうしたらいいか。これらの問題を整理できるようになるので、人と心地よく接することができるようになった。まあ、もちろん苦労することの方が多いけれど。
③自分軸を作り出すきっかけとなった。
ほとんど②と同意なのかもしれない。自分との向き合い方がわかるようになったおかげで自分軸というものにはじめて気づけた。自分軸があってはじめて自分の人生が始まるのだと、なんていうか、開眼した感じだ。

 

こうやって書くと、大げさだなあという気もするが実際、私の人生2015年ぐらいから大げさに変わってきたように思う。人からはそう見えなくても分からなくても、自分の中身がどんどん変わって成長していけたような。感じる心に対してそれを表現できるようになってきたから、捌け口ができてきたというか。

それを最近実感するのは、読書における自分の読解力に対してだったりする。

この間なんか、梶井基次郎の『檸檬』を読んでまさかここまで理解できるようになったとはって自分で自分に感動しちゃった。高校のころ読んだってなんにも分かんなかったのに。あと、『銀の匙』を書いた中勘助は確実にHSPだと思うのですがみなさんどう思いますか。あの瑞々しく弾力のあるユーモアな文章にはHSPの何も知らなくたってみな衝撃を受けるだろうけど、あの自然へのまなざしはHSPがもつ視点そのままだと思う。私たちはああいうものの見方をする。

 

ところでなぜHSPについて書こうと思ったかというと、

養老先生の『神は詳細に宿る』を読んで少し思うことがあったからである。

 

神は詳細に宿る

神は詳細に宿る

 

 

この本はどうジャンル分けしたらいいのか分からないが、コラム集とでもいうか?近年養老先生がいろんな媒体で書いた文章たちを集めた本で、ここで主に話されているのは「環境」「意識」「感覚」「言葉」についてのことだった。私には自分とは何かを考える上での材料になった。

思いっきり文系に振り切ってしまっている自分には時々こういう理系の頭でなされた世界の解釈が必要であると感じる。ひしひしと感じる。頭が悪いから、頭がいい人の言うことを聞いてなるほどと思う(笑)。理系の世界には、身も蓋もなくて救いがないような感じと、一本の道を照らしてくれるような間違いのなさと心強さを感じて常に新しい。

というのはどうでもよく(いいんかい)

唯脳論(知らない人は出直してきてください…というのは冗談ですが知ってる体で書いちゃいますのでご勘弁)をもとに先生はずっと「感覚を取り戻せよ」と言っている。日本人だけに限らず世界中の人たちが「意識」だけで生きるようになってしまった、それでは世界が、人間がだめになると言っている。言われて気づいた。そっか!現代人(つまり身の周りの人たち)って感覚を鈍くして生きてるんだ!って。感覚を鈍くしなきゃ生きていけないような世界を今も人間たちは創り続けているんだなって。

ここでHSPの存在が浮き彫りになる。(なお、勝手に浮き彫りにしたのは私であり、本書のなかでHSPの話など出てこない。というか先生がHSPを知っているのか知らない。)

感覚を鈍くする、というのはHSPにとってはまず無理な話だ。聞かないようにする見えないようにする、感じないようにする。そうしようと思えば私たちはまず体調を崩す。病気になる。かつて(なんなら若干今も)の私である。この本から自分が知れたことはごくごく一部のことだろうが、HSPがこの世で生きづらいワケがこれを読んではっきりした気がする。

ところで、私がHSPを知るきっかけとなった本*1には、HSPの敏感さは生物の生存戦略であったと書かれている。「人間に有害なものとしてHSPが多くの人より早めに拒否反応を示すことによって、社会に早期に警鐘を鳴らすという一種のカナリア的役割をはたしているのかもしれません」とのこと。ここで昨今のHSPの認知度の高さを思い出してみてほしい。ああ、なんだがこの広まり様はただ事ではないような気がする。胸がざわざわする。(笑)

一人一人に情報が行き渡るようになったことの表れだけではないと思う。日本中の敏感な人たちがHSPとしての生きづらさを訴えているということは、この社会に対する拒否反応を示しているのだと思う。このままじゃ日本やべえぞ、と。政治の在り方がやべえ。経済の在り方がやべえ。日本の同調圧力がやべえ。やべえことだけは感じてる。そもそもHSPはアンテナそのものみたいな所あるし。問題は、HSPの感じるこの生きづらさを、世間の異常さを、どう社会に訴えるかだ。どう警鐘を鳴らして、鈍感になってしまった人達に気づいてもらうかだ。このままHSPという概念が広まれば伝わるだろうか?正しく伝わりそうか、私にはあまり自信がない。

養老先生が言う「感覚を取り戻せ」。この声を引き継ぐのはもしかしたらHSPである自分たちなのかもしれない。HSPの気質を自分の中に抱えながらできることは、この世界に適応できるよう努力することではなく、「どうやったって適応できない我々がこんなにいるよ」と主張し続けることなのかも知れない。そうすればきっと、人間はコンクリートだらけの世界を手放せるようになる。豊かさを取り戻せる。なんて考えてみたりしたのだが、どうだろう。敏感さは強さにはならないのだろうか。

 

とはいえ、まずは一日一日を少しでも穏やかに過ごせるようになることが当面の目標で、それは同じHSP仲間にとってもそうだろうと思う。HSPの人はしばしば非HSPに対して敵意さえ持って生きづらさを主張する。紛争だ。自分と他人の範囲を分かってないHSPが同じHSPに対しても攻撃する。いつもどこかで緊張しているからそうなるのだと思う。自分がHSPだと気づいたら、まずHSPという概念をどう自分に活かすかを考えてほしい。間違っても人を攻撃する原因にしてはいけない。HSPの気質をそのまま自我と勘違いしてもいけない。そもそも、そんなことをしている場合ではない。今日の自分と大切な人のために生きれるようになること。そんな心がけの積み重ねが日本の明るい将来を創り出すのかもしれない。

 

 

 

*1:

 2015年、私はこの本に二度出会った。本屋でチラ見した8か月後とかぐらいに、人から「あなたはこれだと思うんだよね」と手渡された。これでしたね。ちなみに私が持つ&読んだHSPに関する書籍はこれのみであり、あとの情報はネットから入手してきた。ここ数年はHSPに関する情報はあまり取り入れていない。必要を感じないので。

敏感すぎて困っている自分の対処法

敏感すぎて困っている自分の対処法

  • 作者: 苑田純子,浜松医科大学名誉教授高田明和,高橋敦(マンガ)
  • 出版社/メーカー: きこ書房
  • 発売日: 2015/01/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログ (2件) を見る